博多の外科医の妻が斬った河童の手
どんな伝承か
元禄の頃という。筑前の博多に鷹取運松庵という外科医があった。妻は肥後の浪人三宅角助の娘で、美人のうえ学問にも通じた才媛であった。ある夜、妻が雪隠にいると、得体の知れぬ薄黒い手が伸びて臀部を撫でた。妻は何も言わず寝間へ戻り、翌晩、伝来の脇差を用意して待った。夜更けて雪隠に上がると怪物は前夜同様の狼藉を働いたので、抜く手も見せず斬り落とした。翌朝、泥鰌の手に似て水掻きのついた手が運松庵の前に置かれていた。以来毎晩、河童が手を返せと訴えに来る。今更返しても仕方あるまいと言うと、河童は冷えた手でも接げると答えたので、接骨法の伝授と引き換えに手を返した。運松庵はこの法を応用して一子相伝の療法を開いた。
原典より
細君は得たりこ拔手も見せず其手をちよん斬つたので怪物は悲鳴をあけて姿を消した。—— 炉辺叢書 筑紫野民譚集(及川儀右衛門・1923年(大正12年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
炉辺叢書 筑紫野民譚集(及川儀右衛門・1923年(大正12年))
『炉辺叢書 筑紫野民譚集』は、及川儀右衛門が筑紫野で暮らした二年ほどの間に、土地の故老や下宿の老婆から聞いた話、教え子が書き送ってきた物語を文献とも照らしてまとめた民譚集である。筑後を中心に筑前・肥前・肥後・豊前・豊後の河童、怪火、長者の話、神事と歌舞、山と水の伝奇、狐狸や幽霊の怪異を六篇に分けて収め、多くの話に古記録を引いた〔註〕を添える。序の日付は大正十二年六月である。