疫病よけに巨大な陽物を焼く奇習
どんな伝承か
福本誠の『筑前志』は「悪病よけの奇習」として、自分の幼いころまで福岡の西町あたりで行われていた風習を書き留めている。疫病がはやると、家三軒分ほどの高さもある巨大な陽物の作り物をこしらえ、数百人の老人や子どもが集まって海辺まで曳いていき、火をかけて焼いた。おかしいのは曳いていく道々の囃子で、ふだん冗談ひとつ言わない老人までが声をそろえ、悪病の神を川に流したと大声で叫んだという。今ではもうそんなことはしないとも記す。著者は、これを追儺よりも疫神を海へ送る御霊会に連なるものと見ている。
原典より
我幼時までに悪疫流行する時に福岡の西町わたりにては高さ三屋に等しきほどの一大陽形を造り數百の老幼集りて之を曳り海濱に至り火をかけて焚樂つることなりき。—— 炉辺叢書 筑紫野民譚集(及川儀右衛門・1923年(大正12年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
炉辺叢書 筑紫野民譚集(及川儀右衛門・1923年(大正12年))
『炉辺叢書 筑紫野民譚集』は、及川儀右衛門が筑紫野で暮らした二年ほどの間に、土地の故老や下宿の老婆から聞いた話、教え子が書き送ってきた物語を文献とも照らしてまとめた民譚集である。筑後を中心に筑前・肥前・肥後・豊前・豊後の河童、怪火、長者の話、神事と歌舞、山と水の伝奇、狐狸や幽霊の怪異を六篇に分けて収め、多くの話に古記録を引いた〔註〕を添える。序の日付は大正十二年六月である。