疫病を鎮めるため催された御霊会
どんな伝承か
怨霊の祟りが天災や疫病を招くと恐れられたなか、その怒りを鎮める祈祷を最大の規模で行ったのが、宮中の神泉苑で始まった御霊会である。『三代実録』の貞観五年五月二十日の条によれば、六つの霊座を厳かに飾り、王公卿士が居並ぶなかに勅使が遣わされ、金光明経と般若心経が読まれ、雅楽寮の楽と舞も奏された。この日は神泉苑の四つの門を開いて一般の人々の参加も許された。さらに、疫病を防ぐため毎年夏から秋に御霊会を営むことは都でも地方でも広まり、民間の習俗として根づいていたと記されている。
原典より
ことに忘れてならないのは、当日は神泉苑の四門を開放し一般市民の参加を許したことである。—— 霊魂観の系譜――歴史民俗学の視点(桜井徳太郎・桜井徳太郎・歴史民俗学・1977年(昭和52年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
霊魂観の系譜――歴史民俗学の視点(桜井徳太郎・桜井徳太郎・歴史民俗学・1977年(昭和52年))
『霊魂観の系譜――歴史民俗学の視点』は、桜井徳太郎が一九七七年(昭和五十二年)に著し、筑摩書房から刊行した論文集である。昭和三十二年から五十年にかけて学会誌や雑誌、新聞に発表した論考を収め、民俗学と歴史研究の関係、郷土の民俗像の史的復元、古代のシャマニズムと憑霊、呪いの人形、怨霊から御霊への死霊観を論じる。後半で折口信夫の巫女観と柳田国男の祖先観を検討し、巻末にあとがきと初稿発表覚書を付す。