加藤清正の河童退治
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どんな伝承か
加藤清正が肥後の藩主として熊本にいた頃、川狩りに出た際、日頃目をかけていた児小姓を河童に水中へ引き入れられた。清正は「領内に棲みながら領民を害すとは不届き至極」と烈火のごとく怒り、軍勢を催して河童退治にかかった。川上から毒を流し、数千の焼石を淵に投げ込み、河童が力を失うという猿を広く集めさせた。窮した河童の眷族九千は、棟梁の九千坊を通じて清正の信任する高僧に謝罪を説かせた。以来、肥後の河童は領民を害さなくなったが、他国からの旅人にはときに禍を加えるという。『倭訓栞』『本朝俗諺志』による。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
炉辺叢書 筑紫野民譚集(及川儀右衛門・大正(大正12年・1923年))
大正12年刊、及川儀右衛門が筑紫野(筑前・筑後・肥前・豊前・豊後・肥後の北部九州)で2年間に故老や下宿の婆さん、教え子から聞き集め文献に照らしてまとめた民譚集。序と全六章(一河童・二怪火・三長者・四神事及び歌舞・五山の神秘水の伝奇・六怪異)から成る。
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熊本市の伝承
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