加藤清正の横浜征伐を演じた宮木村
どんな伝承か
いまの辰野町にあたる一帯は、南の北大出村から北寄りの平出・雨沢村まで、札の降らない村がないほどよく降った。そのなかで宮木村では、慶応三年十月二十八日からおかげ祭りが始まっている。幟が立ち、屋台が繰り出し、囃子が鳴るなかを、加藤清正が横浜を攻めるという趣向の仮装行列が練り歩いた。幕末の世相をそのまま持ち込んだような出し物で、村では前代未聞の騒ぎになったと記されている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
長野県史 通史編 第6巻(長野県史)
『長野県史 通史編 第6巻』のうち、第七章第五節「木曽騒動とお札降り」の二「お札降り」の項を収める抜き書きで、冒頭は佐久地方の村方騒動と軽井沢宿の打ちこわしを述べる段の途中から始まる。慶応三年七月に三河で始まったお札降り・ええじゃないかが伊那谷と中山道を経て信濃に広がり、下伊那・上伊那・高遠・諏訪・木曽・松本平・北信の村や宿場で降札と祝祭が起きたさまを、村の記録や日記からたどる。最後に世直りへの期待と維新との関わりをまとめる。