札の降らぬ村のなかった辰野一帯
どんな伝承か
いまの辰野町にあたる一帯では、南の端の北大出村から北の小野村まで、札の降らなかった村は一つもなかったという。北大出村では七十二枚、宮木村では五十九枚が降り、ここでも伊勢皇太神宮・秋葉山・御嶽山・金毘羅大権現の札が多かった。一月の下旬にも降ったと記されている。上伊那で広がったこの騒ぎは、辰野から北へ進んで塩尻や松本の方面に伝わる一方、天竜川に沿って東へも向かい、諏訪郡の村々にまで及んだ。
原典より
現在の辰野町にあたる地域でも、南の北大出村から北の小野村まで、降札のなかった村はなく、一月下旬にも降った。—— 松本市史 第2巻 歴史編2(松本市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
松本市史 第2巻 歴史編2(松本市史)
『松本市史 第2巻 歴史編2』は、信濃の松本市の市史のうち歴史を扱う巻で、ここにはその節「三 お札降り」だけが収められている。慶応三年七月ころから翌年にかけて、天から神仏の札が降ったとして酒食して騒いだ「お札降り」「ええじゃないか」が、伊那谷と中山道の二筋を通って信濃に広まったさまを、飯田・高遠・諏訪・木曽などの記録から追う。後半は松本城下と周辺村の降札と松本藩の禁令を述べ、上今井村に降った札の種類と枚数を表に示す。