柴太兵衛が取った河童の魚年貢
どんな伝承か
信州上伊那郡伊那富村に、武田信玄の幕臣で柴太兵衛という者がいた。ある六月の中旬、太兵衛屋敷の下の淵で飼馬を遊ばせておくと、尻尾に何か怪しい姿のものが取りついた。馬は驚いて真っしぐらに厩へ帰る。太兵衛が見に行くと、暮色が垂れ込めてしかと見定められない。と、童子のようなものが厩から飛び出して門の方へ走ったので、追いかけて捕らえ、火を灯して見れば、顔は猿のようで頭に皿があり、胴も手足も薄墨色で骨太くたくましい。体は小さいのに力は三人力ほどあり、右の手を引っぱると左の手が右へ抜けた。あまり怪しいので籠の中に入れておくと、自分はこの淵に永年住む河童で、あまりの名馬ゆえ曳き込もうとしたのだと語ったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
河童・天狗・妖怪――民俗随筆(武田静澄・武田静澄・民俗随筆・1956年(昭和31年))
『河童・天狗・妖怪――民俗随筆』は、武田静澄が昭和三十一年に著した民俗随筆である。天狗と神かくし、河童、座敷わらし、山の神と山の妖怪、狐狸とつきもの、水辺や海の亡霊、死霊と御霊などをめぐる伝承を、『今昔物語』などの古典の説話と各地の民俗の事例から集めて語る。短い見出しを立てた小文を連ねる形をとり、神かくしにあう心理や幻覚、お化けの心理にも触れて、妖怪を信じる心のはたらきを考える。