行き倒れの旅人とコウスケ橋
どんな伝承か
川岸には、かつてコウスケ橋という橋が架かっていた。昔、上野国から来た旅人がこの地まで来たものの、飢えと病のためにそれ以上進めず、橋の上で息を引き取った。土地の人々はこの旅人を手厚く弔い、そのふるさとの名にちなんで橋をコウスケ橋と呼ぶようになったという。
原典より
人々は旅人を供養し、その橋をコウスケ橋と名付けたという。—— 戸田市史 民俗編 より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
戸田市史 民俗編
『戸田市史 民俗編』は、戸田市の市史民俗編から、第三節「伝説」だけを収めたものである。美女木・新曽・上戸田・下戸田・下笹目・惣右衛門の話者が語った、源頼朝の奥州征伐にまつわる美女木の地名のいわれ、下笹目の聖釜のヌシとカッパ、荒川に身を投げた女の地名、美女木八幡の鐘、弘法大師の石芋や弘法清水などを収める。説明伝説・歴史伝説・信仰伝説を広くとり、村・ホラ、石・岩、水、塚、祠堂、その他の六つに分け、各話の終わりに話者の地区を記す。