赤鬼官軍・八幡太郎の朝日長者夕日長者
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どんな伝承か
八幡太郎義家が奥州の賊軍を退治しに行く途中この地を通ったとき、兵隊たちは朝日長者の家に寄って食べ物を乞うた。長者はまたたく間に千人分の食事と酒を出し、急な大降りになると千人分の笠と蓑を用意したという。朝日長者は馬を千匹も飼い、放しておいた所が厩窪、酒蔵の並んだ所が百駄、屋敷から四方八方へ道を通したので八方口、鍛冶屋を雇った所が鍛冶ヶ沢と呼ばれるようになった。帰路、義家は家来になれという求めを断られて長者屋敷に火を放ち一族を滅ぼした。屋敷の跡は今「長者が平」といい焼き米が出る。源氏の白旗を埋めたのが谷中のお旗塚、夕日長者は根本のハットヤに住んだと伝える。
原典より
わんりゃ、ちっけえころのこんだげど、本当にあったんだど。—— 氏家町史 民俗編――伝説・昔話(氏家町(編)・氏家町史・自治体史(民俗)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
氏家町史 民俗編――伝説・昔話(氏家町(編)・氏家町史・自治体史(民俗))
『氏家町史 民俗編』第5章所収の伝説・昔話。栃木県氏家町(現さくら市)に方言の語り口で伝わる口承を採録する。
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