与吉塚口
どんな伝承か
昔、喜連川の殿さまと松山の殿さまが村境を決めることになり、双方が足の早い者を選んで同じ時刻に城から駆け出し、行き合った所を境にすることになった。松山村からは足自慢の与吉が選ばれ、寺の鐘の音を合図に東へ向かって駆け出した。川を跳び越え山を越えて速かったが、誰かが邪魔をしたと見えて橋は壊され、道には大きな石が投げ出されていて早く走れない。与吉が山を一つ越えたころには喜連川の若い衆は三つも越えていた。与吉は村人に顔向けができないと言って首をくくって死んだ。村人は塚を築き柿を植えたが一度も実がならず、塚は与吉塚と呼ばれて今も残るという。
原典より
昔々、なあ、喜連川のお殿さまと、松山のお殿さまが、村境決めるっつうこどになったもんで、どっちも足の早えの見っけで、同じ時に、お城から駆げ出し、行き合ったどご境にすっぺってこどになったんだど。—— 氏家町史 民俗編――伝説・昔話(氏家町(編)・氏家町史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
氏家町史 民俗編――伝説・昔話(氏家町(編)・氏家町史)
『氏家町史 民俗編――伝説・昔話』は、氏家町の町史民俗編のうち、第五章「くらしと言語」の第一節「伝説・昔話」と第二節「ことわざ、俗言」の初めを収めたものである。昭和七年版『氏家郷土誌』の数編と町史編さん室などが集めた話から選んだ二十七話を土地の方言の語りに直して載せ、勝山城にまつわる歴史伝説や地蔵の信仰伝説が多い。各話の末に方言の語注を付け、ことわざの節では日常に使われた俗言を五十音順に並べる。