弘法大師の麦伝来
どんな伝承か
弘法大師がシナから帰る時、日本に麦の種を持ち帰ろうとした。ところがシナでは麦の種を国外に持ち出すことを禁じていた。それでも何とか麦作りを日本に伝えたい大師は、ヘコ(フンドシ)の中にこれを隠して持ち出した。おかげで日本でも麦を作ることができるようになったという。麦にはヘコと呼ばれる筋が実の真中にあり、いくら搗いてもこのヘコは取れない。これは大師のヘコの中で麦の種がもまれる間にできたもので、大師の恩を忘れぬようにといくら搗いても取れなくなったのだという。
原典より
弘法大師は、それでも何とか麦作りを日本に伝えたいため、ヘコ(フンドシ)の中にこれを隠して持ち出した。—— 河内町史 民俗編――昔話・伝説(河内町(編)・河内町史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
河内町史 民俗編――昔話・伝説(河内町(編)・河内町史)
『河内町史 民俗編――昔話・伝説』は、河内町の町史の民俗編のうち、子守歌と昔話・伝説を収めた部分である。伝承者の名を添えた子守歌二編と、昔話と伝説の違いを述べた前置きに続き、継子譚・異類婚姻譚・和尚と小僧・愚か婿など全国に分布する型の昔話と、岩戸の観音、金峰山と飯田山、小野小町、弘法大師にまつわる土地の伝説を、第一話から第三十八話まで番号を振って並べる。多くの話には話型の名や類話の広がりを短く添える。