鬼松と鎧かけの松(家康と埋蔵金)
どんな伝承か
天正十年(一五八二)、本能寺の変に際し、家康は手勢わずか五十人足らずで大坂から伊賀の山を越えて海に逃れ、西ノ浜に上陸した。襲いかかる地侍や野武士の群をやっと追い払い、田戸森下から小舟で中山の春屋敷、今の兼原の船付場に渡った。このとき傍らの松に掛けて一休みしたことから、後にこの松を鬼松と呼ぶようになったという。家康主従はさらに山田の泉福寺へたどりつき、そこで鎧を掛けた松は鎧かけの松と呼ばれたが、後年火災で焼失した。家康は軍資金を境内に隠したともいい、「朝日さし夕日輝く木のもとに黄金で十箱銀で十箱」という歌が口伝えに残る。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
渥美町史 考古・民俗編
『渥美町史 考古・民俗編』は、渥美町の町史のうち考古・民俗編で、ここに収めるのは第二章「民間伝承と信仰・俗信」の第一節「伝説と昔話」の部分である。西ノ浜に上陸した家康にまつわる松や茨、膳貸せ岩、白馬になった池の主、大地震で海に沈んだ小塩津、秀忠が掘らせた井戸など町内各地の伝説十二話と、古屋の漏りやかちかち山などの昔話を収める。両者の違いを説く解説を前に置き、各話に地区名を添え、昔話は昭和六十年から六十一年の調査で採られたと記す。