運天の名を得た為朝と尊敦
どんな伝承か
舜天王の父為朝公は身の丈七尺、眼は秋の星のようで、武勇に秀で射術を最も得意としたと記す。宋の紹興二十六年、日本では鳥羽院と崇徳院が争い、鎮西にあった為朝は崇徳院に味方したが敗れて捕らえられ、伊豆大島へ流された。宋の乾道元年、船で遊ぶうちに暴風に遭い、運命は天にありと言って数日で漂い着いた海岸を運天と名づけた。今の山北の運天江がそれである。大里按司の妹と通じて男子を得たが、故郷を思って妻子を連れ牧港から船出すると二度とも颶風に押し戻され、船人が女を留めよと請う。為朝は児の養育を託して別れ、夫人は児を連れて浦添に住んだ。児は尊敦と名づけられ、宋の淳熙七年、十五歳で浦添按司に推されたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第15巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第15巻』所収の「文化叙事伝説」「自然説明伝説」全185話(奄美・沖縄=南西諸島)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。