信玄堤の要に据えた夏目の三ッ石
どんな伝承か
穴山町夏目の釜無川東岸に三ッ石がある。正親町天皇の御代、十日にわたる長雨で西の峰一帯が崩れて釜無川に流れ込み、ついに夏目組字茅の木で堤防を突き破り、茅の木・祖母石・韮崎の諸部落をなめ尽くして塩川を突っ切り、金剛寺に突き当たったという。人畜の死傷と田園の流失が多く、国守武田信玄は大いに憂えて翌年秋に工事を起こし、激流を防ぐ堤防を築いて復旧した。里人はその徳を慕って信玄堤と呼ぶ。堤の中央には二つの基石の上に長さ七メートルの巨石が置かれ、これを三ッ石という。今は地名にもなっている。
原典より
本村夏目地内釜無川東涯にある。—— 韮崎市の民話伝説(韮崎市教育委員会・1967年(昭和42年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
韮崎市の民話伝説(韮崎市教育委員会・1967年(昭和42年))
『韮崎市の民話伝説』は、韮崎市教育委員会が昭和四十二年に発行した民話・伝説集である。韮崎・円野・中田・穴山・藤井・神山・穂坂・清哲・旭・大草・竜岡の十一町で民俗資料調査員が集めた百六十八話を収め、武田信玄・勝頼や鎮西八郎為朝、弘法大師の話、山の神のたたりや化かされた話などに話者名や『裏見寒話』などの出典を添える。巻頭に昔話と伝説の解説を置き、本文を木・石・水・塚・坂峠・山・谷沢・屋敷跡城址・祠堂・その他の十部に分ける。