討たれた光重の身代わりとなった薬師
どんな伝承か
宮代町須賀の真蔵院の薬師堂には、かつて行基作という薬師が祀られていた。『新編武蔵風土記稿』では、北条時氏に仕えた会津の伊藤修理太夫光家が仁治のころこの地で野武士に囲まれ、薬師が身代わりとなって救ったとする。寺の縁起では、時氏の信任厚い光重が讒言され、仁治三年八月六日に会津へ討手を差し向けられた。討手が首を櫃に納めて鎌倉へ戻る途中、この里で櫃が磐石のように動かなくなり、中には薬師の御首があった。須賀の領主形辺左衛門尉の夢に薬師が立ってこの地への安置を求め、里人と堂を建てて移したという。像は明治三十四年の火事で失われた。
原典より
ある夜、薬師が左衛門尉の枕辺にたち、「汝、われをこの地に安置せよ。しからば一切衆生の病苦、剣難、厄難をすくって人々の身代わりになるであろう」というお告げであった。—— 埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成)
『埼玉県伝説集成——分類と解説 中』は、韮塚一三郎が編んだ埼玉県の伝説集の中巻で、上中下三巻のうち歴史伝説を収める。地名・屋敷・家系・聖地・城や堤や橋・神仏・神体と宝物・偉業・事件と紛争の九章に分け、県内各地の伝説を『新篇武蔵風土記稿』などの文献と土地の人からの聞き取りによって集めている。一話ごとに所在地と出典または資料提供者を記し、同じ類型の話をまとめた後に柳田国男らの説を引く〈解説〉を置く。