親王を奉じて落ちのびた金子一族
どんな伝承か
大職冠藤原鎌足の後胤、二十七世金子右馬之助家忠の一族は、保元・平治の乱を避け、ある親王を奉じて蕨元村、本村(上蕨村・法華田町ともいう)へ落ちのび、蕨地方開発の祖となったという。金子本家は江戸時代に上蕨の組頭を勤め「甚兵衛お頭」と呼ばれたが、明治初年の地租改正後に絶家した。屋敷跡は国道十七号線の東西にまたがる広大なもので、本家屋敷地の南側には分家金子亀吉家があり、同家に接して八幡社が勧請されていた。この八幡社は表向きは八幡社でも普通の八幡様ではなく、金子家忠らが囲い申し上げた某親王を祭ったものという。
原典より
この八幡社は表向き八幡社でも普通の八幡様ではなく、金子家忠らが、おかこい申しあげた某親王をお祭りしたものという。—— 埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成)
『埼玉県伝説集成——分類と解説 中』は、韮塚一三郎が編んだ埼玉県の伝説集の中巻で、上中下三巻のうち歴史伝説を収める。地名・屋敷・家系・聖地・城や堤や橋・神仏・神体と宝物・偉業・事件と紛争の九章に分け、県内各地の伝説を『新篇武蔵風土記稿』などの文献と土地の人からの聞き取りによって集めている。一話ごとに所在地と出典または資料提供者を記し、同じ類型の話をまとめた後に柳田国男らの説を引く〈解説〉を置く。