経塚(その七)
どんな伝承か
蕨市塚越の経塚について、『武蔵国郡村誌』は「村の北方にあり。高さ凡一丈三尺、周囲凡三十六間、長方形をなす。面積四十八坪」と記し、もと大樹が繁茂していたが安政五年三月十九日に焼け、今は杉椿の小樹が生え、塚上に稲荷を祀るとする。塚越の村名がこの経塚から起ったことは、『新編武蔵風土記稿』が、古くは経塚腰村と唱えたのを後に上を略し腰の字を改めたと伝えるので明らかである。この廻国の沙門は伊豆国那賀郡の生まれで名を玄快といい、京都伏見の稲荷神社に籠っていた時にお告げをうけて関東に下り、この地に法華経一万部を埋めて経塚を築き、塚上に伏見稲荷大明神を勧請したという。
原典より
畠山重忠が経文を埋めて築いた塚であるという。—— 埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成・昭和40年代刊(中巻・歴史伝説)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成・昭和40年代刊(中巻・歴史伝説))
韮塚一三郎『埼玉県伝説集成——分類と解説 中』(歴史伝説の巻)を全608話・伝説(土地別の異伝)単位で収録(<解説>・[参考]・和歌・注は本文に内包)。埼玉県下の歴史伝説(塚・城址・古戦場・武将〈新田義貞・畠山重忠・太田道灌ら〉・史跡・寺社縁起等)を、所在地(市町村・字・社寺)と出典(新編武蔵風土記稿・各市町村史等)を付して体系的に集成した中巻。