玄快が法華経一万部を埋めた塚越の経塚
どんな伝承か
蕨市塚越の経塚は、『武蔵国郡村誌』によると村の北にあり、高さ一丈三尺ほど、周り三十六間ほどの長方形の塚で、上に稲荷が祀られていた。もとは大木が茂っていたが、安政五年の火事で焼けてしまったという。『新編武蔵風土記稿』は、昔、諸国を巡る僧がここへ経文を埋めて塚を築いたので経塚腰村と呼ばれ、のちに塚越村と改まったと伝える。その僧は伊豆国生まれの玄快で、京都伏見の稲荷に籠もっていた折に告げを受けて関東に下り、法華経一万部を埋めて塚を築き、伏見稲荷の神霊を塚の上に迎えたという。
原典より
伝えるところによると、京都伏見の稲荷神社にお籠りしていた時、お告げをうけたので、関東に下って、この地に法華経一万部を埋めて経塚を築いた。—— 埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成)
『埼玉県伝説集成——分類と解説 中』は、韮塚一三郎が編んだ埼玉県の伝説集の中巻で、上中下三巻のうち歴史伝説を収める。地名・屋敷・家系・聖地・城や堤や橋・神仏・神体と宝物・偉業・事件と紛争の九章に分け、県内各地の伝説を『新篇武蔵風土記稿』などの文献と土地の人からの聞き取りによって集めている。一話ごとに所在地と出典または資料提供者を記し、同じ類型の話をまとめた後に柳田国男らの説を引く〈解説〉を置く。