松の下露と護良親王の経塚
どんな伝承か
後醍醐天皇が笠置を落ちて瓶原へ向かわれたとき、広岡の道端にあった大きな松の下で休まれたという。梢から落ちた露が袖をぬらしたので、天皇は、さして行く笠置の山を出でしより天が下にはかくれがもなし、と詠まれ、供の者が、いかにせん頼むかげとて立ちよればなお袖ぬらす松の下露、と返した場所と伝えている。この松は大正元年の落雷で枯れたが、その根もとには護良親王が経文を埋めたといい、今も経塚と呼ばれる。長谷町の山上にも同じく経文を埋めたと伝える所があり、経塚山の名が残る。
原典より
後醍醐天皇が笠置から瓶原に落ちのびられたとき、広岡の道端にあった大きな松の木の下で休まれた。—— 奈良市史 民俗編――伝説(奈良市(編)・奈良市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
奈良市史 民俗編――伝説(奈良市(編)・奈良市史)
『奈良市史 民俗編――伝説』は、自治体史『奈良市史』民俗編のうち、第十一章「伝説」と巻末の「民俗資料」の冒頭を収めたものである。昭和三十七年から三か年にわたり市内各町の自治会長や古老、社寺を訪ねて集めた伝説に文献の伝えを加え、春日大社・東大寺・興福寺などの社寺や、吉備真備・俊寛・中将姫らゆかりの人物にまつわる話を収める。木・石・塚・水・山・森・社寺・人物・動植物・町名の十節に分け、一話ごとに題を立てて記す。