高麗焼を焼いた富の島
どんな伝承か
高麗島は世にもまれな豊かな島だったと伝えられる。島の人々は荒海のただ中で優れた陶器を焼いて暮らしを立てており、それが世に広まって高麗焼と呼ばれたのだと、付近の島々の多くの人は思っていた。野崎の神島の御山の宝物や、名のある寺社や旧家の秘蔵品にも、この島で焼いたという鉢や皿が伝わり、それを目にした人はこの伝説を疑えなかった。沈んだ跡の高麗瀬へ行くと、今も無数の古い陶器のかけらが底波に揺られて鳴る音が聞こえ、まれに漁師の延縄にかかって引き上げられたという話まで残っている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。