野間権現と娘媽の漂着
どんな伝承か
薩摩の野間権現は、明らかに中国から移し迎えた航海の守り神で、かつてこの方面で行われた自由な外国貿易の名残と見られている。野間という地名そのものが娘媽の音から来たという説もある。長崎貿易の時代が終わるまで、沖を通る南京船は祭を行い、社の修験僧は長崎へ出向いて護符を授けていた。莆田の林氏の娘が海に入って亡くなり神に祀られた話は中国でも美しい物語になっていたが、ここではその神女の亡骸が加世田の渚に流れ着き、肌は桃の花のように麗しく生きた人のようで、葬って三年目に唐から迎えが来て神骨を分けて持ち帰ったと説く者もいたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。