鎮魂帰神を創案した本田親徳
どんな伝承か
本田親徳は薩摩藩出身の神道家で、文政五年一月、士族本田主蔵の長男として加世田に生まれたとされる。一七歳で神懸かりの法が絶えたことを嘆いて皇学を志し、二一歳のとき京都の薩摩藩邸で狐の憑いた少女に出会って憑霊を目の当たりにし、霊学の研究を決意したという。その後およそ十五年、岩窟や草庵を訪ねる模索を重ね、三五歳ごろ神懸かりに三十六の法があると悟り、慶応三年ごろ帰神の正法を立てた。晩年は静岡県で教えを広めて岡部の神神社を拠点としたが、秩父へ移った翌年の明治二二年、川越で急逝した。
原典より
帰神の正法の確立はそのさらに一○年後の慶応三年頃とされている。—— 鎮魂行法論――近代神道世界の霊魂論と身体論(津城寛文・津城寛文・宗教学) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
鎮魂行法論――近代神道世界の霊魂論と身体論(津城寛文・津城寛文・宗教学)
『鎮魂行法論――近代神道世界の霊魂論と身体論』は、津城寛文が著し、春秋社から刊行された宗教学の研究書である。本田親徳・出口王仁三郎・浅野和三郎・友清歓真・川面凡児・田中治吾平・宮地水位など、近代以降の神道界とその周辺に現れた鎮魂行法家の系譜をたどり、その鎮魂帰神説や霊魂観をシャーマニズム研究の観点から整理する。序章と全七章からなり、第一章で行法家の群像を描き、第七章では「宗教的身体境界」の考え方によって鎮魂行法を類型化する。