禊の大家と呼ばれた川面凡児
どんな伝承か
川面凡児は文久二年四月、大分県宇佐郡両川村小坂の、宇佐神宮の近くに生まれた。遠祖は京都の公卿で頼朝に招かれて鎌倉へ移り、のち宇佐に封じられて小坂の城主となったが、大友宗麟に滅ぼされて以来当地に郷士として住み、川面姓を名乗ったという。父は大百姓で造酒業や呉服業も営んだ。凡児は明治十二年、郷里の馬城山(一名御許山、宇佐神宮の裏に位置し古来その本体とされた霊山)に入って修行した後、上京。禊の大家として知られ、その禊の行法は大政翼賛会の行事にも採用された鎮魂行法家である。
原典より
馬城山は宇佐神宮の裏に位置し、古来宇佐神宮の本体とされてきた霊山である。—— 鎮魂行法論――近代神道世界の霊魂論と身体論(津城寛文・津城寛文・宗教学) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
鎮魂行法論――近代神道世界の霊魂論と身体論(津城寛文・津城寛文・宗教学)
『鎮魂行法論――近代神道世界の霊魂論と身体論』は、津城寛文が著し、春秋社から刊行された宗教学の研究書である。本田親徳・出口王仁三郎・浅野和三郎・友清歓真・川面凡児・田中治吾平・宮地水位など、近代以降の神道界とその周辺に現れた鎮魂行法家の系譜をたどり、その鎮魂帰神説や霊魂観をシャーマニズム研究の観点から整理する。序章と全七章からなり、第一章で行法家の群像を描き、第七章では「宗教的身体境界」の考え方によって鎮魂行法を類型化する。