道ひらき会を興した荒深道斉
どんな伝承か
荒深道斉は明治四年に岐阜県山県郡中洞村で生まれ、幼名を道太郎といった。のちに彼を通じて神示を伝えた道臣命は、その誕生に霊的な因縁があったと語っている。若いころは苦学と病に苦しみ、紡績会社に長く勤めたが、大正一一年の大病のあと湯治先の霧島山の温泉で霊異を体験しはじめた。西宮へ移って自己流の鎮魂を続け、大正一三年に若林耕七の審神者のもとでイワキヌシと名乗る霊言を発した。昭和二年には浅野和三郎の審神者のもとで道臣命が名乗って浅野を驚かせた。昭和六年に大台ヶ原で日文碑を見つけたと確信し、戦後に道ひらき会を設け、昭和二四年に没した。
原典より
大正一一年の大患後、湯治のために霧島山の温泉に滞在していた頃より、心身異常を伴う種々の霊異を体験しはじめる。—— 鎮魂行法論――近代神道世界の霊魂論と身体論(津城寛文・津城寛文・宗教学) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
鎮魂行法論――近代神道世界の霊魂論と身体論(津城寛文・津城寛文・宗教学)
『鎮魂行法論――近代神道世界の霊魂論と身体論』は、津城寛文が著し、春秋社から刊行された宗教学の研究書である。本田親徳・出口王仁三郎・浅野和三郎・友清歓真・川面凡児・田中治吾平・宮地水位など、近代以降の神道界とその周辺に現れた鎮魂行法家の系譜をたどり、その鎮魂帰神説や霊魂観をシャーマニズム研究の観点から整理する。序章と全七章からなり、第一章で行法家の群像を描き、第七章では「宗教的身体境界」の考え方によって鎮魂行法を類型化する。