本田親徳の霊石御霊代
どんな伝承か
神道家本田親徳は薩摩藩出身で、二十一歳のとき京都の薩摩藩邸で狐憑きの少女に遭い憑霊現象を実見したことをきっかけに霊学研究を志したという。晩年は静岡県志太郡岡部町の神神社を拠点に活動したが、明治二十一年、自らの霊はこの地に鎮まると言い残して同社を去り、二度目の妻の実家があった秩父に移った。翌明治二十二年四月九日、川越で病を得て急逝した。現在、秩父の三輪家の住居内には、本田が生前肌身につけていた拳大の石が「吾死すれば霊は此の石に来たるべし」との遺言により御霊代として奉斎されている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
鎮魂行法論――近代神道世界の霊魂論と身体論(津城寛文・津城寛文・宗教学・平成(著述))
宗教学者・津城寛文『鎮魂行法論―近代神道世界の霊魂論と身体論』。近代以降の神道界に展開した『鎮魂行法』を、霊魂論・身体論・シャーマニズム論の観点から体系的に分析する。