ヒデ鉢から電灯へ移った内郷村の灯り
どんな伝承か
相州津久井の内郷村で生まれた校長の長谷川氏は、十二、三歳の頃まで、家でヒデ鉢と称して松を焚き灯火とするための石の平鼎を用いていた。それからの二十四、五年の間に、行燈からカンテラ、三分心・五分心・丸心のランプを経て、今はもう電気を引いて昔のままの勝手を照らしていると話された。しかも、その最近の古物であるヒデ鉢が、どうなってしまったものか、村内に幾つも遺ってはいなかったという。
原典より
村で生れた校長の長谷川氏は、十二三歳の頃まで家にヒデ鉢と稱して、松を焚いて燈火とする爲の石の平鼎を用ゐて居たのが、其からの廿四五年間に行燈からカンテラ、三分心五分心丸心のランプを経て、…—— 定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第2巻』は、柳田国男の紀行と旅の随筆を収めた著作集の一巻である。昭和三年一月の自序に続く「雪国の春」や菅江真澄の日記を読み解く文をはじめ、東北の村々の正月、火と炭、浜の暮らしの見聞、「秋風帖」「東国古道記」、昭和十五年十一月の自序を持つ「豆の葉と太陽」などの紀行を並べる。峠や古道、佐渡・五箇山・熊野などの土地を、住む人の暮らしと信仰から見ようとする文が多い。