中氷川神社の秀吉奉納の宝剣と石棒
どんな伝承か
中氷川山の上に鎮まる中氷川神社は、延喜式に載る入間五座の一社で、天正十八年の豊臣秀吉の関東征伐の折の振る舞いがもとで、のちに徳川氏から冷遇されたと伝える。社務所の奥座敷には、近郊で掘り出された土器や石器、布目瓦のほか、先住の人々が信仰の対象にしたという異様な形の石棒もあった。社宝には有栖川宮熾仁親王の筆の額、元亀三年ごろの山口城主山口資信が奉納した軸物、関東征伐の際の秀吉の禁制書と、秀吉が奉納した光忠作の宝剣、月山貞一の刀、月山貞勝の太刀などがあり、足利期の造りの宝物殿でときおり公開されるという。
原典より
其中には、先住民族が信仰の對象としたグロテスクな「石棒」などもあつた。—— 行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年))
『行楽と史蹟の武蔵野』は、寺島裕が昭和十二年に著し、新生堂から発行した武蔵野の史跡探訪記である。狭山丘や山口貯水池の周辺から、行田・粕壁・生田・淀橋・中野・柴又・多摩御陵などの社寺、城址、古戦場、塚を歩いて訪ね、交通の便とともに由緒や伝説を記す。小橋一太と新井堯爾の序文、著者の自序を巻頭に置き、前著「史蹟の武蔵野を探ねて」に続く行楽案内として土地ごとの短い節を連ねる。