江戸の地名は粕壁から移したという話
どんな伝承か
粕壁町の古老が語るところによると、江戸の地名の多くはこの附近の地名を移したものだという。下谷・本郷・鐘ヶ淵はもちろん、歌舞伎でなじみの江戸の「花川戸」もこの地の「濱川戸」を取ったもので、古利根川の支流として町の西北端を流れる「古隅田川」も江戸の隅田川の親名であり、いずれも太田道灌が江戸城を築いて城下町を建設する際に当地方の地名を移したものだ、というのである。だから今の東京がいかに鼻を高くしても、親より出世した子供の存在にすぎない、と古老たちは言う。さらに彼らは、向島の名所梅若塚の存在も古隅田川畔とみるのが至当で、在原業平が詠んだ都鳥の碑も当地の春日部八幡境内にあると力んでいるという。
原典より
此町の古老の語るところに據ると、江戸の地名は多くこの附近の地名を移したもので、「下谷」、「本郷」、「鐘ヶ淵」などは勿論、歌舞伎でお馴染の江戸の「花川戸」も此所の「濱川戸」を取つたもので、…—— 行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年))
『行楽と史蹟の武蔵野』は、寺島裕が昭和十二年に著し、新生堂から発行した武蔵野の史跡探訪記である。狭山丘や山口貯水池の周辺から、行田・粕壁・生田・淀橋・中野・柴又・多摩御陵などの社寺、城址、古戦場、塚を歩いて訪ね、交通の便とともに由緒や伝説を記す。小橋一太と新井堯爾の序文、著者の自序を巻頭に置き、前著「史蹟の武蔵野を探ねて」に続く行楽案内として土地ごとの短い節を連ねる。