義貞が誓った誓詞ヶ橋と白旗塚
どんな伝承か
小手指ヶ原の畑の中、武蔵野電車の狭山ヶ丘駅から南へ約一・七キロの所に誓詞ヶ橋がある。元弘三年、新田義貞がこの橋の上に立って遥か西方を拝み、身命をなげうって南朝のために尽くすことを天地神明に誓い、将兵を励ましたという伝説の橋である。さらに南へ数百メートル、こんもり茂る木立は、そのとき義貞が本陣を張った跡と伝える白旗塚で、富士塚とも呼ばれる古墳である。白旗の名は源氏の旗印を表すという。塚の近くには昭和十一年三月に埼玉県が建てた小手指原古戦場の碑が立っている。
原典より
その更に南方數百米にコンモリ繁る一團の木立は、其時彼が本陣を張った遺跡だとゆわれる「白旗塚」で、それは一名「富士塚」ともゆわれる古墳であるが、白旗塚の名は勿論義貞の源氏の族章を意味するものである。—— 行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年))
『行楽と史蹟の武蔵野』は、寺島裕が昭和十二年に著し、新生堂から発行した武蔵野の史跡探訪記である。狭山丘や山口貯水池の周辺から、行田・粕壁・生田・淀橋・中野・柴又・多摩御陵などの社寺、城址、古戦場、塚を歩いて訪ね、交通の便とともに由緒や伝説を記す。小橋一太と新井堯爾の序文、著者の自序を巻頭に置き、前著「史蹟の武蔵野を探ねて」に続く行楽案内として土地ごとの短い節を連ねる。