中村権太と薬師如来の歌の悲劇
どんな伝承か
鹿野山では、中興第一世の宥慶僧都が紀州高野から来て、初めて真言密教の道場を樹てた。そのとき当山は衰えて堂宇が一宇を残すのみだったという。僧都は智慧の誉れ高く教化にも努めたので、その利益を蒙って仏道に帰し教えを聴いた者のなかに中村権太がいた。僧都が大工を興して十三の寺宇を建てたとき、最もよく努めたのが権太であったと伝わる。ただし権太の事蹟を確かめる証拠は残らず、今伝わるのは一種の悲劇を語る薬師如来の歌だけである。歌は権太に嫁いだ娘が留守を守るうちに世を去るさまを長々と語り、同じ詞が各地にあるという。
原典より
宥慶僧都(中興第一世)が紀州高野から来て、始めて真言密教の道場を樹てた時、当山は衰廃して一宇となつてゐた。—— 日本伝説叢書 上総の巻(藤沢衛彦・日本伝説叢書・1917年(大正6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説叢書 上総の巻(藤沢衛彦・日本伝説叢書・1917年(大正6年))
『日本伝説叢書 上総の巻』は、藤沢衛彦が大正六年に編んだ上総国の伝説集である。夷隅・長生・山武・市原・君津の五郡にわたり、地名の由来、社寺の縁起、城と武将の事跡、大蛇や狐つきの怪異、俚謡や民間の風俗を、口碑や『総国誌』などの地誌から集める。巻頭に著者の序と緒言を置き、上総国と郡の名義を説いたのち、郡ごとに町村の所在を添えた見出しで一話ずつ並べる。