血の眉尖刀
どんな伝承か
大多喜町泉水の禅院円照寺(不動院)に、正木大膳時堯の眉尖刀が納められている。天正十七年の秋、北条氏政の密命を受けた間諜が里見方の庁南から大多喜城下へ入り込み、里見義堯の親書を携えて正木家に取り入った。翌天正十八年正月の大多喜城襲撃の際、時堯は彼を一手の将として用いたが、この密使が北条方へ通じていたため、養老川を渡り返す正木勢は伏兵の銃撃を受けて二つに分断され、大敗した。時堯は旗を捨てて抗い、みずから五十余人を斬りながらかろうじて逃れた。その血のしたたるままに円照寺へ納めたのがこの眉尖刀だと言われている。
原典より
大多喜町泉水禅院圓照寺(不動院)にある正木大膳の眉尖刀といふものは、正木大膳時堯(時茂に作つてゐる。—— 日本伝説叢書 上総の巻(藤沢衛彦・日本伝説叢書・明治~昭和初期(推定)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説叢書 上総の巻(藤沢衛彦・日本伝説叢書・明治~昭和初期(推定))
藤沢衛彦編『日本伝説叢書 上総の巻』を全218話・伝説(1見出し=1話)単位で収録(緒言・序・名義・解説・和歌・注は除外/内包)。所在地(郡村区・社寺)を付して集成。