里見氏滅亡の夜に始まる曽谷の月見の禁忌
どんな伝承か
里見氏がお月見の晩に一城をあげて宴を張っていたところ、北条氏がやって来て江戸川を乗り越え、総寧寺のあったあたりに攻め込まれて滅ぼされた。男性はほとんど戦死し、安房の里見まで逃げ延びた者はほとんどいなかった。女子供は闇に乗じて、市川西から松戸本郷、市川稲越、曽谷、貝塚の付近へ逃げ、隠れて育った。それが曽谷村だという。以来、曽谷ではお月見をしないのだと伝わる。
原典より
里見氏がお月見の晩に、一城をあげて宴をはっていたところが、北条氏がやって来て、江戸川をのり越え、総寧寺のあったあたりに攻め込まれて、滅ぼされた。—— 市川の伝承民話 第2集(市川民話の会・市川の伝承民話・1981年(昭和56年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
市川の伝承民話 第2集(市川民話の会・市川の伝承民話・1981年(昭和56年))
『市川の伝承民話 第2集』は、市川民話の会が昭和五十六年に発行した民話資料集である。千葉県市川市の曽谷・宮久保・下貝塚と行徳の古老から聞き取った、狐や狢に化かされた話、火の玉、伝説、昔話、唄、暮らしの禁忌や苦労話を、方言を残した語り口のまま記録している。世間話・伝説・昔話・唄・生活譚の五部を地区別に並べて各話の末に話者と記録者を記し、巻末に語り手の紹介、話者と採訪者の名簿、採訪記、あとがきを付す。