嫁の炒り豆と永平寺の豆太鼓
どんな伝承か
嫁と仲の悪い姑が、嫁を困らせようとして、炒った豆を畑にまかせた。ところが仏様の助けがあって、そのうちの一粒だけが芽を出し、やがて大木に育って千石もの豆を実らせた。この木を使って永平寺の豆太鼓が作られたのだという。
原典より
仲の悪い姑が、嫁に炒り豆をまかせたが、仏様の助けで一粒だけ芽が出て大木となり、千石もの豆がなった。—— 福井縣鄕土誌 民間傳承篇(中塩清之助(編)・福井縣鄕土誌・1939年(昭和14年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
福井縣鄕土誌 民間傳承篇(中塩清之助(編)・福井縣鄕土誌・1939年(昭和14年))
『福井縣鄕土誌 民間傳承篇』は、福井市立実科高等女学校の郷土誌第二輯として教諭中塩清之助が編み、昭和十四年二月付の学校長金岡正孝の序を巻頭に置く。丹生郡の名、哭女、越前萬歳、仏の舞、幸若舞、猫塚、隠れ里、子育て幽霊、愛発の関、弁慶譚、八百比丘尼、水の神女譚を、古文献や他地方の類例と照らして論じる。生徒が集めた県下の昔話は類話をA・Bなどに分けて並べて解説を付し、校正者大村四朗の跋を添える。