忍術使いと噂された用沢小僧の最期
どんな伝承か
江戸時代半ば、用沢の大塚に庄兵衛という聡く気立てのよい子がいた。草一本の陰に隠れ、壁を駆け上がって天井を逆さに走ったという。長じては甲斐の吉田や京大坂まで短い間に行き来し、語った様子が後で確かめると本当だったので、忍術使いと評判になった。小田原藩主大久保忠顕はキリシタンと疑って召し捕りを命じ、捕らえねば村役人も同罪とした。村中で探すと遠藤八左衛門方の屋根裏にいた庄兵衛は、詫びて自ら手を差し出した。地蔵堂裏の窪地で莚ごと落とされ、石を投げる村人の名を言い当てたが、頭に石を受けて二十二歳で死んだ。災難が続いたので青竜寺の孝州和尚が供養し、地蔵を延命地蔵と名付け、家々は五輪塔を祀った。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
小山町史 第9巻 (民俗編)(小山町史)
『小山町史 第9巻(民俗編)』は、静岡県駿東郡小山町の町史の民俗編から、口頭伝承の章の伝説の節を抜き出したものである。石子詰にされた忍びの若者・用沢小僧の伝えを出典ごとに並べ、むらの名の由来、金太郎ゆかりの地と石、仇討如来や鬼鹿毛馬頭観音、村境の決め方、竹之下合戦にまつわる伝えなどを収める。富士山麓と足柄山のあいだの町に残る、地名と社寺・石に結びついた言い伝えが中心である。