虎丸長者の屋敷跡と武蔵寺の地蔵会
どんな伝承か
筑前の筑紫郡古賀村のたれという所に、虎丸長者の屋敷跡がある。虎丸は天拝山のふもとに武蔵寺を建てようとして果たせずに死に、武蔵の池上から来た僧が完成させたので武蔵寺の名になったという。長者は武蔵・井手・古賀・塔原・萩原・山口などの村々に田地を持ち、別宅が七十五か所もあった。その二十五か所ずつを中心に小作人が三年に一巡で催したのが、毎年十月十五日の地蔵会の始まりという。武蔵寺の山門脇には、虎丸の墓という高さ七尺ほどの苔むした石碑が立つ。一説に登羅麿は天武天皇のころの領主で、僧祚蓮を招いて薬師如来と十二神将を刻ませ、寺を開いたともいう。
原典より
現に武蔵寺山門の傍に虎丸の墓こ稱する高さ約七尺位の苔蒸した石碑がある。—— 炉辺叢書 筑紫野民譚集(及川儀右衛門・1923年(大正12年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
炉辺叢書 筑紫野民譚集(及川儀右衛門・1923年(大正12年))
『炉辺叢書 筑紫野民譚集』は、及川儀右衛門が筑紫野で暮らした二年ほどの間に、土地の故老や下宿の老婆から聞いた話、教え子が書き送ってきた物語を文献とも照らしてまとめた民譚集である。筑後を中心に筑前・肥前・肥後・豊前・豊後の河童、怪火、長者の話、神事と歌舞、山と水の伝奇、狐狸や幽霊の怪異を六篇に分けて収め、多くの話に古記録を引いた〔註〕を添える。序の日付は大正十二年六月である。