東京での再実験を前にした千鶴子の死
どんな伝承か
福来博士による千鶴子の透視実験は、明治四十三年二月の通信実験に始まり、熊本・京都・東京での出張や招待による実験が六回行われた。最後となった十一月の熊本での実験で、博士は千鶴子に手もとを自分のほうへ向けさせて透視させ、満足のいく結果を得た。しかし世間の疑いを晴らすには、ほかの学者の前でも同じやり方で透視させなければならないと考え、練習を勧めた。千鶴子は快く引き受け、もう一度東京へ出て学者たちの前で透視すると約束した。博士は彼女や清原氏、井芹氏に見送られて熊本を発った。ところが確証となる実験が行われないうちに、千鶴子は翌四十四年一月に毒を飲んで命を絶ち、その能力は確かめられないまま終わった。
原典より
しかしこの十分な確証的実験ができぬうちに、その能力者は自殺してしまったのである。—— 心霊現象の科学(小熊虎之助・1974年(昭和49年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
心霊現象の科学(小熊虎之助・1974年(昭和49年))
『心霊現象の科学』は、小熊虎之助が心霊現象を科学の立場から論じた研究書で、序とあとがきに昭和四十九年四月の日付がある。コックリ・自働書記・読心術・憑きものなどを心理学で説ける偽心霊現象とし、精神感応・交霊・千里眼・心霊物理現象を真実の心霊現象として心霊現象研究会の報告から吟味する。福来友吉が能力者とした三船千鶴子・長尾夫人・高橋夫人・三田光一の透視と念写は山川健次郎らの実験と照らして疑い、あとがきでは井上円了以来の研究史を概説する。