宇治に始まり奥州に及んだ明和の抜参り
どんな伝承か
明和八年卯月八日、山城国宇治郡から御蔭参り抜け参りが起こったという。誰からともなくその噂は広まり、京・大坂・大和はもとより丹波、若狭、越前、近江、尾張、播磨、備前備中、安芸、阿波、讃岐、伊予、さらに江戸や奥州にまで及んだと伝わる。田畑を捨て、手習いの墨も拭わぬまま人々は参宮へ急ぎ、参詣者は日を追って膨れ上がり、五月十五日には伊勢の宮川に入る者だけで二十五万人に達したという。牛馬や犬までもが参宮の列に加わったのも、この度が初めてであったと伝えられる。
原典より
第三回の御蔭參り拔參りは明和八年四月、即ち寶永二年から六十六年の後である。—— 阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・1931年(昭和6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・1931年(昭和6年))
『阿波えゝぢやないか』は、山口吉一が一九三一年に著した、幕末の「ええぢゃないか」騒動の記録である。慶応三年の暮れに阿波で起きたお札降りと踊りの騒ぎを、県内の古老五十余人からの聞き書きと郡村史誌などの記録によって、起因・神異・服装・歌謡・禁忌などの面からたどる。徳島日々新報への連載をまとめたもので、概観篇・詳述篇・挿話篇・補遺篇から成り、鳥居龍蔵の序、話者の古老の一覧、太田明の「御下り踊私考」を付す。