高松城下で斬られた阿波の踊子十七人
どんな伝承か
幕末のええじゃないか騒動のさなか、阿波から讃岐の高松へ、女四人男十三人の十七人組が踊りこんできた。高松ではすでに騒ぎが鎮まっていたが、彼らは数日来の楽しさに夢中で、城下を縦横に踊り狂った。そこへ、騒擾を差し止めるべく巡回していた三人の厳しい侍が行手に立ちはだかる。役人とは知らぬ踊子はかえって侍を囃し立て、いよいよ激しく踊り続けた。ついに侍たちは刀を抜き、三、四人の踊子を斬り伏せた。この噂が阿波に伝わり、高松で踊るのは命懸けだというので、踊りは止むに至ったという。
原典より
これは、阿波から讃岐の高松に踊りこんだ十七人組が、高松藩士に對して無禮な振舞があつた爲め、敢なくも斬り捨てられ、その噂が阿波に 伝はつて踊もうつかりすると命懸けだといふところから、止むに至ったといふもので、 次第は次のご…—— 阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・1931年(昭和6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・1931年(昭和6年))
『阿波えゝぢやないか』は、山口吉一が一九三一年に著した、幕末の「ええぢゃないか」騒動の記録である。慶応三年の暮れに阿波で起きたお札降りと踊りの騒ぎを、県内の古老五十余人からの聞き書きと郡村史誌などの記録によって、起因・神異・服装・歌謡・禁忌などの面からたどる。徳島日々新報への連載をまとめたもので、概観篇・詳述篇・挿話篇・補遺篇から成り、鳥居龍蔵の序、話者の古老の一覧、太田明の「御下り踊私考」を付す。