踊り込みに持ち去られた蔵の米俵
どんな伝承か
『うちの蔵にゃ穴があいとる』と息子が言い出した。厚い壁に穴などと親仁さんは取り合わなかったが、昨日梯子段のところの米が一俵見えなくなったと聞いて驚き、二人で蔵を検めると十二俵あったはずの米が十一俵しかない。親仁さんは金遣いの荒くなった息子を疑ったが、息子は知らないという。その夕方、踊り込みの連中がやって来て、一人が蔵の扉を開け米俵を担ぎ上げた。叱りつけても『ええじゃないか、なんでもええじゃないか』と踊るばかり。やがて親仁さんも息子も踊り出し、その間に米俵は門先から運び去られてしまった。海部郡川上村の話。
原典より
「うちの蔵にや穴があいとる・・・・・・」麥の茶漬飯をさらさらと掻きこんで、息子はひようきんな顔をしていつた。—— 阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・1931年(昭和6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・1931年(昭和6年))
『阿波えゝぢやないか』は、山口吉一が一九三一年に著した、幕末の「ええぢゃないか」騒動の記録である。慶応三年の暮れに阿波で起きたお札降りと踊りの騒ぎを、県内の古老五十余人からの聞き書きと郡村史誌などの記録によって、起因・神異・服装・歌謡・禁忌などの面からたどる。徳島日々新報への連載をまとめたもので、概観篇・詳述篇・挿話篇・補遺篇から成り、鳥居龍蔵の序、話者の古老の一覧、太田明の「御下り踊私考」を付す。