雷鶴を打し事
どんな伝承か
寛政八年の春に雷が鳴ったおり、林大学頭が城中で、自分の知行地で珍しいことがあったと語った。武州の忍城の近くで雷が落ち、鶴が三羽打ち殺されたという。空を舞っていたところを打たれたのか、餌をあさっていたところを打たれたのかは分からない。昼のことで雷はひどく激しく、村の百姓が近くの家で雨をしのぎ、小やみになって外へ出てみると、三羽の鶴が雷に打たれて翼を傷め、黒く焦げて倒れていた。ありそうなことではあるが、珍しいことだと語ったという。
原典より
武州忍城近所にて雷落て鶴を三羽打殺しける由。—— 耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年))
『耳嚢(みみぶくろ)』は、根岸鎮衛(守信)が勤めの合間に古老や訪ねて来た人から聞いた話を書き留め、佐渡在勤のころからまとめ直して文化六年仲秋に結びを付した随筆である。武家・町人の逸話や奇談に加え、狐・狸・幽霊・妖獣などの怪異、羽蟻や虫歯・ものもらいを治めるまじない、薬の秘法を、一項ずつ題を掲げて記す。この本文は著者の自叙と巻之一から巻之十まで(巻之四を欠く)の抜粋で、巻末に著者の結びと『耳嚢副言』の一部を置く。