霜幸大明神の事
どんな伝承か
牛込の冷水番所に、小川茂三郎という武家の屋敷があった。玄関の脇に小さな祠があり、痰や咳に悩む人が祈るとよく効き、治った人は小豆を一袋ずつ納めるならわしだった。由来を知る人によれば、宝暦の末ごろ小川家に長く仕えた山田幸左衛門とお霜という夫婦がいて、二人とも痰に苦しんでいた。幸左衛門は死ぬとき、死後に自分を念じる痰病みの者は必ず治してやると誓い、お霜もほどなく同じ病で亡くなる際に夫と同じ誓いを立てた。身寄りのない二人を主人が菩提寺で弔うと、中山の貫主もそれほどの思いなら霊験もあろうと言い、願をかけると効くと評判になったので、二人の名から一字ずつ取って霜幸大明神とあがめ、今も参詣が絶えないという。
原典より
玄関の脇に聊の祠有て、痰せきを愁ふる人是を祈れば功験甚いちじるく、快験の後小豆を一袋づゝ神納なす事也。—— 耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年))
『耳嚢(みみぶくろ)』は、根岸鎮衛(守信)が勤めの合間に古老や訪ねて来た人から聞いた話を書き留め、佐渡在勤のころからまとめ直して文化六年仲秋に結びを付した随筆である。武家・町人の逸話や奇談に加え、狐・狸・幽霊・妖獣などの怪異、羽蟻や虫歯・ものもらいを治めるまじない、薬の秘法を、一項ずつ題を掲げて記す。この本文は著者の自叙と巻之一から巻之十まで(巻之四を欠く)の抜粋で、巻末に著者の結びと『耳嚢副言』の一部を置く。