元の場所へ戻る手川の馬頭様
どんな伝承か
石原の手川では、公民館の庭先に石堂造りの馬頭観音がまつられ、峠の馬頭様とも呼ばれて近郷から厚く信仰された。明治の初め、合祀令を受けて村で相談し、前手川の墓地へ移したところ、翌朝には元の場所へ戻っていたという。次に後手川のある家の墓地へ移すと、その家に悪いことが重なって断られ、また元へ戻した。台石や参道の敷石を渋川の興行師が買い取ったときも不吉が続き、たたりを恐れて返された。移転の跡地を畑にした人も不幸が絶えず、やがて誰も耕さなくなった。そこで手川の人々は馬頭様を元の境内に建て直し、土地を共有地として梅を植え、その実入りで守るようにすると、異変はぴたりとやんだと伝わる。
原典より
明治初期時の合祀令により村中で協議の結果、前手川の墓地にこの馬頭様を移した。—— 渋川市誌 民俗編(市史編纂シリーズ) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
渋川市誌 民俗編(市史編纂シリーズ)
『渋川市誌 民俗編』は、渋川市の市誌民俗編のうち、第六章「民俗信仰」の第一節から第五節の初めまでを収めたものである。人魂・幽霊・ロクロッ首・生まれかわり・死神などの霊魂の話、手をつけてはいけない聖地や耕すと祟る忌地、オサキ使いや狐つき、神かくし、若宮八幡などのたたり、イチッコと呼ばれる巫女や祈禱師、東向き鳥居参りなどの祈願を、市内の大字ごとの聞き書きで記す。はじめにで章全体を解説し、続く節では話に見出しと採集地の大字を添える。