洪水に流された朱塗りの梨原御殿
どんな伝承か
正徳三年の『八幡神社縁起』によると、政子は槻の木を植えて塚を築いたのち、廟所を移して社を営み、清水八幡宮と崇めた。自ら入間川の地を訪れて供養し、神田を寄進したという。社殿は朱塗りの玉垣をめぐらす壮麗なものであったが、応永九年八月の大洪水でことごとく流されてしまった。八幡宮の付近には梨畑があって梨原と呼ばれ、朱塗りの美しい社は梨原御殿とも称された。その後、およそ百八十年前になって、今の場所から北へ三丁ほどの杉林の中で石の祠が見つかり、現在地に鎮座して再建されたと伝える。『入間川風土記』の清水八幡宮由来記が引く話である。
原典より
正徳三年(一七一三)の『八幡神社縁起』によれば、「槻の木を植え塚を築いたとの事なるが政子は廟所を転じ神祠を営み、清水八幡宮とあがめ、自ら入間川の地に来り供養し且神田を寄附されたという。—— 狭山市史 民俗編(狭山市(狭山市史編さん室/民俗調査担当)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
狭山市史 民俗編(狭山市(狭山市史編さん室/民俗調査担当))
『狭山市史 民俗編』は、狭山市の市史のうち民俗を扱う巻で、ここにはその「五 伝説・昔話・世間話」の部分が収められている。堀兼・入間・奥富・柏原・水富・入間川の各地区で古老の座談会と個別の聞き取りによって集めた話を、話者の地区・名・生年を添えて載せ、不老川や堀兼の井、影隠地蔵、キツネ、豪商綿貫家の話などを含む。伝説は水・動物・植物・地名・人物・塚・神仏・地蔵・妖怪変化など十項に分け、話ごとに[解説]を付す。