羽田八幡宮の伊雑宮一百年祭礼の記録
どんな伝承か
三河国渥美郡羽田村は豊橋駅の西に広がる村で、中心の羽田八幡宮の宮司は平田派の国学者羽田野敬雄だった。彼の記録「萬歳書留控」には、慶応三年七月二十四日の東宮伊雑宮一百年祭礼の項があり、近辺の草間・牟呂・野田新田・萱町に伊勢の御祓が降り、二十二日には西羽田の次郎兵衛前屋敷にも降ったと記される。そこで村役人と相談し、ちょうど準備していた御鍬の百年祭と一緒に祀ると決めたという。境内の東之宮には明和四年四月九日に勧請された伊雑宮が祀られており、祭礼の中心はその百年祭であった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・1986年(昭和61年))
『ええじゃないか始まる』は、田村貞雄が一九八六年に著した幕末の民衆運動「ええじゃないか」の研究書である。慶応三年に三河から遠江・駿河へ広がった御札降りの発端を、牟呂村の「二夜三日正月」、御鍬百年祭、吉田宿の助郷騒動、秋葉信仰との関わりから、村方の文書や日記、市町村史の史料をもとに追う。はしがきに続く八章で発端から波及、仕掛人をめぐる諸説、祭の後の「代替わり」までを論じ、主な史料はその原文を別組で示す。