御船千鶴子の常陸丸透視
どんな伝承か
御船千鶴子の透視の力は、義兄の清原猛雄がかけた催眠術から引き出されたものである。清原は明治三十六年から熊本市で催眠術を研究しており、千鶴子を眠らせて透視ができると暗示した。日露戦争のさなか、輸送船常陸丸が敵に撃沈されたとき、清原は千鶴子に、熊本の第六師団の兵が同船に乗っていたかを透視させた。千鶴子は、第六師団の兵は一度長崎を出たが途中の故障で引き返し、常陸丸には乗っていないと答えた。三日後、出征兵から熊本の家族に便りが届き、透視がまったく事実どおりだったことが分かったという。
原典より
第六師園の兵士は一旦長崎を出發したけれご、途中故障ありて引き返へし、常陸丸には乗り込んで居ない。—— 観念は生物なり(福来友吉・心霊・念写研究) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
観念は生物なり(福来友吉・心霊・念写研究)
『観念は生物なり』は、福来友吉が諸雑誌に発表した論文を集めた心理学と心霊研究の論集で、日本心霊学会刊、序は大正十四年春に箕面山の麓で記されている。観念と身体の関係、夢、潜在精神と病気、プランセット(自動書記)、狐憑病の伝染や尼寺のヒステリー、宮本武蔵の剣道などを論じる。明治四十三年以来接した御船千鶴子・長尾郁子・三田光一ら八人の通力者の透視と念写の実験も報告し、「観念と身体との関係」から「生命学と心霊研究」までの十四篇を収める。