京洛の巫覡が狐を祭った長元の記録
どんな伝承か
平安期の政治家たちは蠱道の流行を放置せず、犬の藁人形や符書を禁じた勅、巫覡の淫祀や厭魅・呪術を禁じた太政官符などを出した。詐巫の術法は蠱道と厭魅の二つに大別され、大陸的要素と仏教外道の影響が大きい。巫者が能動的に富や地位を求める際、使われ祭られる動物は狐が最も多く、『小右記』の長元四年に京洛の巫覡が狐を祭るとある。狐憑きの初めは『日本霊異記』の「我はこれ狐なり」に遡り、遅くとも平安初期にはあったと見られる。能動的な狐の観念は十一世紀ごろから大きく変化していったと説く。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
講座日本風俗史別巻 妖異風俗((講座日本風俗史 別巻)・日本風俗史・民俗)
『講座日本風俗史別巻 妖異風俗』は、『講座日本風俗史』の別巻として、複数の執筆者が妖しく異様な風俗を論じた巻である。淫祠と性の祭礼、戦後の新興宗教、性にまつわる迷信、妖術・忍術・奇術、憑きものと特殊家系、心霊術と催眠術、異類との婚姻、性と怪異の関わりを、古典の随筆や各地の報告、事件の記録から取り上げる。九つの章に分け、終章「日本妖異風土記」では関東から九州・沖縄までの怪異譚を地方別・県別に掲げる。