首を柄杓の柄でつないだ神風連の母
どんな伝承か
神風連の乱のときのこととして、首を斬られた息子の亡骸が運ばれて来ると、ある母親は不憫がって柄杓の柄を包丁で削り、首と胴の両方に差して、子供の豆細工のようにつないでやったと、福本日南が書いているという。介錯の際、後ろの斬り手が未熟で狙いを外すと、痛いと言いながら自分で首を両手で押さえ、斬りやすくしてやった剛胆な者もいたらしい。著者の父は県立病院から獄へ遣わされ、死に損ねた吉村義節の切れた喉を縫ったが、吉村は糸を引きちぎって死にたがり、叱られると、牢では丸麦ばかり食わされるから傷口から麦粒がこぼれてくると平然と笑っていたという。
原典より
神風連の一挙のときにも、誰だったかのおふくろさんが、首を斬られたせがれのなきがらを運んできたら、お、可哀想にといって、ヒシャクの柄を包丁でそいで、…—— 私の心霊術(長田幹彦・1955年(昭和30年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
私の心霊術(長田幹彦・1955年(昭和30年))
『私の心霊術』は、長田幹彦が昭和三十年に著した心霊研究の随筆集である。死後に残る霊や地獄・極楽をめぐる考えを述べ、熊本の家系や安達謙蔵との交わり、東京放送局の文芸顧問だったころの回想、霊友会など戦後の新興宗教への批判、前著『霊界』への反響と自らの信仰を語る。「心霊科学の来世観」「霊界の構造」「ぼくの信仰」などの章からなり、末章「ある霊媒の生態」では霊媒服部との実験とそのトリックの顛末を描く。