木曽で最初に札が降った三留野宿
どんな伝承か
木曽谷で最初に札が降ったとされるのは、慶応三年十月十一日、三留野宿の山田屋と仁科の両家である。これを境に、毎日のように札が降ったという噂が谷じゅうへ広がっていった。名古屋から美濃を経て木曽路へ入ってきた流れがここで表に出たかたちで、月末には馬籠宿の産土神である諏訪神社の札が降り、翌日には問屋と本陣にも降っている。妻籠宿からは水戸浪士に扮した百人あまりの行列がやってきて、子どもを引き馬に乗せ、鎧兜や槍弓を携えた姿が圧巻だったと伝えられる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
長野県史 通史編 第6巻(長野県史)
『長野県史 通史編 第6巻』のうち、第七章第五節「木曽騒動とお札降り」の二「お札降り」の項を収める抜き書きで、冒頭は佐久地方の村方騒動と軽井沢宿の打ちこわしを述べる段の途中から始まる。慶応三年七月に三河で始まったお札降り・ええじゃないかが伊那谷と中山道を経て信濃に広がり、下伊那・上伊那・高遠・諏訪・木曽・松本平・北信の村や宿場で降札と祝祭が起きたさまを、村の記録や日記からたどる。最後に世直りへの期待と維新との関わりをまとめる。