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小前五人が願った上大池村の再祭り

所在地長野県東筑摩郡山形村上大池
年代慶応三年(一八六七)十一月二十九日〜十二月八日
登場大和藤七、丸山登之助、札が降った小俣村の豪農、札が降った神戸新田の豪農
出典長野県史 通史編 第6巻

どんな伝承か

上大池村の記録によると、十一月一日から松本や安曇郡真々部宿その他へ伊勢皇太神宮の札が降り、十一月二十九日と晦日には上大池村にも降った。村ではまず前祝いをして酒四樽・鯖十五本・さんま五本を費やし、その費用は主として村役人が出し、酒一樽分は村中割りとした。十二月四日の夕方、小前と思われる五人が名主にお札の再祭りを願いでた。この日は断られたが、彼らは酒肴を準備し、八日には村方一同でふたたび「お札祭り」を催した。村役人も再び酒や錫・干海老などの肴類と、若者たちへの祝儀を出したという。

原典より

十二月四日夕方、小前と思われる五人が名主にお札の再祭りを願いでた。—— 長野県史 通史編 第6巻(長野県史) より引用
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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

長野県史 通史編 第6巻(長野県史)

『長野県史 通史編 第6巻』のうち、第七章第五節「木曽騒動とお札降り」の二「お札降り」の項を収める抜き書きで、冒頭は佐久地方の村方騒動と軽井沢宿の打ちこわしを述べる段の途中から始まる。慶応三年七月に三河で始まったお札降り・ええじゃないかが伊那谷と中山道を経て信濃に広がり、下伊那・上伊那・高遠・諏訪・木曽・松本平・北信の村や宿場で降札と祝祭が起きたさまを、村の記録や日記からたどる。最後に世直りへの期待と維新との関わりをまとめる。

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