札とともに甲金三両が降った鰍沢村
どんな伝承か
甲斐地方のお札降りとそれに続くええじゃないかは、慶応三年十月半ばに始まった。これは東海道の富士方面から富士川沿いに伝播してきたもので、信州から甲州街道沿いに波及してきたものではなかった。甲斐で最初の降札がみられるのは十月十八、十九日の南巨摩郡鰍沢村の例で、伊勢皇太神宮の札とともに、甲金すなわち甲斐の金貨の二分・一分・一朱など、都合三両が降っている。このころには終盤にさしかかっていた西八代郡市川村一円の例もあり、このあたりを起点として、甲府市中では十一月中旬にいたる流行が引きおこされた。
原典より
甲斐地方で最初の降札がみられるのは、十月十八、十九日の南巨摩郡鰍沢村の例で、伊勢皇太神宮と甲金(甲斐の金貨)の弐分・壱分・壱朱など、都合三両が降っている。—— ええじゃないか(高木俊輔) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔)
『ええじゃないか』は、幕末維新期の民衆運動を研究してきた高木俊輔が、慶応三年から翌年にかけて広がった「お札降り」と「ええじゃないか」の乱舞を各地の史料からたどった歴史書である。三河吉田での初出から東海道、甲斐、江戸、信濃、伊勢、京都、大坂、中国、淡路、四国まで、日記や記録に残る降札と踊りを国ごとに述べる。概観と東国・西国の四章に続く終章で降札の作為者やおかげ参り、世直しとの関わりを論じ、参考文献を付す。