与力の留守宅に仕組まれた降札
どんな伝承か
慶応三年十月頃、中河内郡布施町では、京都へ狩り出された与力・同心の留守宅に意図的な降札が仕組まれていたと老婆の談話が伝える。ある与力の家では降下があると門に大きな張子の鳥居を作り、北新地の芸妓を呼んで踊らせ、近所の娘は藤娘姿で桜の屋台を引いた。忌のかかった家には降らぬとの風評を立て、幕府側の下級官吏に散財を強いる作為だったという。
原典より
ある与力の家では、降下があると家の門に大きな張子の鳥居をつくり、北新地の芸妓を呼んで踊らせ、近所の屋敷の娘は藤娘姿で桜の花飾りの屋台をひいたという(藪重孝「前出論文」)。—— ええじゃないか(高木俊輔) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔)
『ええじゃないか』は、幕末維新期の民衆運動を研究してきた高木俊輔が、慶応三年から翌年にかけて広がった「お札降り」と「ええじゃないか」の乱舞を各地の史料からたどった歴史書である。三河吉田での初出から東海道、甲斐、江戸、信濃、伊勢、京都、大坂、中国、淡路、四国まで、日記や記録に残る降札と踊りを国ごとに述べる。概観と東国・西国の四章に続く終章で降札の作為者やおかげ参り、世直しとの関わりを論じ、参考文献を付す。